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福岡家庭裁判所 昭和39年(家)1659号 審判

申立人 村山一郎(仮名) 外一名

右両名法定代理人親権者父 村山徳男(仮名)

相手方 山本十郎(仮名)

主文

本件申立は、いずれもこれを却下する。

理由

一、本件申立の要旨

申立人両名は、相手方の長女山本則子(昭和六年一一月一三日生)と申立人等法定代理人親権者父村山徳男夫婦間に出生した長男および二女であるが、昭和三九年五月四日協議離婚をした際、申立人等両名についてはその親権者を母則子とする一方、長女民子(昭和二六年三月一五日生)と二男次郎(昭和三五年二月二六日生)の両名については、父徳男を親権者と定め、夫婦の双方が各二児を引取り将来その養育にあたることとし、昭和三九年六月以降母則子が申立人等両名を引取る約旨であつた。ところが相手方の長女則子は、前示離婚後約旨に反して同年六月頃来その所在を晦まし、今日に至るまで行方不明の実状にあるので、その後やむを得ず父徳男において養育にあたつているのであるが、これより先昭和三七年一二月二五日同父は交通事故に遭遇して顔面および頭部を強打し生花行商の稼働もできなくなり、その後も依然として顔面半分は麻痺する後遺傷があつて、稼働能力を失うなどの不幸に加えて前示のような離婚の逆境に立到つたので、昭和三九年七月以降生活保護を受けて辛うじて生計を維持している現状にあるので、申立人等両名の親権者を父に変更する旨の審判(昭和三九年(家)第一六五七、一六五八号記録)を得る一方、申立人等祖母サクもまた入院加療を要する負傷をし、右生活保護による収入のみによつては一家六名の生活は到底維持し得ない窮状に追込まれている。一方相手方は、その妻と共に長男進(昭和一一年八月一〇日生)夫婦およびその二児と同居し、漁師として生計を立てているのであるが、住居も広く生活も安定し余裕があるので、申立人両名を引取り養育するか、または扶養料として送金援助を求めるため本件申立に及んだというのである。

二、当裁判所の判断

当庁昭和三九年(家)第一六五七、一六五八号親権者変更申立事件記録中の戸籍謄本、当裁判所調査官尾藤清一の調査報告書によれば、申立人等両名の父母が協議離婚に際し、夫婦双方が申立人等主張のように二児の親権者となつてこれが養育にあたることに定められたのであるが、母則子は昭和三九年六月来その所在を晦まし、現在にいたるまで行方不明であるので、父徳男が四児の養育にあたつて今日に及んでおり、申立人等両名の親権者も母から父に変更されたこと、また同人は生花行商をしていたが、昭和三七年一二月交通事故による負傷のためその稼働能力を失い、昭和三九年七月以降生活保護による月収約一万八、〇〇〇円によつて辛うじて糊口をしのいでいるのであつて、宅地七〇坪と住宅一棟(八畳、四畳半)の不動産はあるが、極貧の窮状にあることがそれぞれ認められる。

しかし一方相手方に対する嘱託審問の結果によれば、同人も既に満六一歳を過ぎた老齢で、家、屋敷のほか三馬力の動力付漁船を有し右漁船によつて漁業に従事しているけれども、最近の不漁続きで僅少の収入があるにすぎず、長男進が他船に雇われて得る収入に依存している現状で、到底申立人等両名を引取り養育する余裕はないのみならず、扶養料支払いの請求にも応じられない。申立人等の母則子の所在が判明し、同女と協議の上善処したい旨陳述しているのであつて、相手方の生計も相当苦しく申立人等を引取り養育する余裕のないことを窺知することができる。

そして申立人等の父徳男審問の結果によれば、昭和四〇年四月以降申立人である長男一郎は、福岡市○○町所在のクリーニング店に住込み店員として稼働し、手取月収約二、〇〇〇円を得るようになつたため、同申立人に関する限り本件申立はその理由がないものといわねばならないのみならず、長女民子も中学三年在学中で来春中学卒業の上は他に就職の見込みであり、また申立人である二女雅子は小学校四年に在学し健康で成績も中以上にあり、兄姉等との別居を欲していないこと、申立人等の父は前掲不動産も所有しており、住居には困窮していないことなど、相手方の生活事情などと彼此比較考量すれば、申立人二女雅子に関しても、相手方に対し強制的に扶養引取りはもとより、扶養料支払いを命ずることは躊躇せざるを得ない。けだし僅少の扶養料支払いを命じても、生活保護費を減額され実質的利益を受けない虞れがあるばかりでなく、本件に関しては、祖父孫娘間の愛情による物心両面にわたる将来の援助に期待すべきであると思料されるからである。

そこで本件申立は、いずれもこれを許容すべきでないものとして、主文のとおり審判する。

(家事審判官 厚地政信)

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